自己改革を目指して

自己分析を繰り返し短所を改善していく過程を見守る&活かせる事は共有していくブログ。

人を動かす原則その1。

人を叱るのは愚の骨頂である。自分のことさえ自分で思うようにはならない。天が万人に平等な知能を与えたまわなかったことにまで腹を立てる余裕はとてもない。
これは、アメリカの実業家、ジョン・ワナメーカーの言葉だ。
人間はたとえどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだ。
他人の粗探しは何の役にも立たない。相手はすぐに防御体制を敷いて、何とか自分を正当化しようとするだろう。自尊心を傷つけられた相手は反抗心を起こしかねないので危険である。
批判するだけでは永続的な効果は期待できず、むしろ相手の怒りを買うのがオチ。
人を非難することの無益さは歴史にも多くの例がある。ルーズヴェルト大統領と後継者タフト大統領の仲違いも、ティーポット・ドーム油田監獄事件もそうだ。
悪い人間ほど自分のことは棚に上げて人のことを言いたがる。それが人間の天性だ。これは悪人だけの話ではない。我々も同じだ。
人を非難するのはちょうど天に向かってつばを吐くようなもので必ず我が身に返ってくる。人の過ちを正したり、人をやっつけたりすると、結局相手は逆にこちらを恨むことになりえる。
リンカーンは常に、
「悪意を捨てて愛をとれ。」と自分に言い聞かせて、心の平静を失わなかった。
「人を裁くな 人の裁きを受けるのが嫌なら」
これが彼の座右の銘だった。
実は、リンカーンこそ人を非難する人間だったが、とある政治家との小競り合いの後に、人を嘲ることをやめ人を非難するのは良くないと悟り変わったのだ。
他人の欠点を直してやろうとのいう気持ちは確かに立派だ。だが、他人を矯正するより自分を直す方がよほど得であり、危険も少ない。
「自分の家の玄関が汚れているのに隣の家の屋根の雪に文句をつけるな」
こう説いたのは孔子である。
死ぬまで他人に恨まれたいなら人を辛辣に批評すればよい。その批評が当たっているほど恨まれる。
人を扱う場合、相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するこもをよく心得ておこう。
かつては人付き合いが苦手であったベンジャミン・フランクリンも外交的な技術を身につけ人の扱いが上手くなり、駐仏アメリカ大使にまで成り上がった。彼は、
「人の悪口は決して言わず、長所をほめる」ことが成功する秘訣だと語った。
人を批評したり、非難したり、小言を言ったりすることはどんな馬鹿でもできる。そして馬鹿に限ってそれをしたがる。
理解と寛容は、優れた品性を備えた人にはじめて持ち得る徳である。
人を非難する代わりに相手を理解するように努めよう。なぜ相手がそんなことをしたかよく考えよう。全てを知れば、全てを許すことになる。
イギリスの文学者ドクター・ジョンソンの言葉より
「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」

まして我々がそれまで待てないはずはない。

人を動かす原則  
批判も非難もしない。苦情も言わない。